エッセイを書きたいと思うときがある。なんとなくカッコいいから。
そう思っていたエッセイは、カッコいいものじゃなかった。
現実の世界を、うまく切り取っている一コマだった。
食べ物を絡めたエッセイに興味が出て、森下典子さんの著書を買った。
旅行を絡めたエッセイに興味が出て、益田ミリさんの著書を買った。
エッセイが詰まったサイトを読みあさったり、雑誌の中にあるそういうコーナーをたくさん読んだ。
けれど、そのくらいの粒度で日常を過ごすことができなかった。
解像度が低いと感じた。
地下鉄に乗って、大きな駅まで行った。20分ほど写真を撮って帰ってきた。
解像度が高ければ、そこの中にもきっちり思い出が残るんだと思う。
目にとまったモノ、コト、ヒト。その裏にあるもの、背景にあるものを、想像したり読み取ったりできるんだろう。
そこまでの経験がないのか、知識がないのか、ただ元気がなかったのか。
何も生まれなかったことが悔しい。
あまり周囲の人と関わらないように、できるだけ波風立てずに、そっとそっと生きてきた結果なのだ。好きとか嫌いとか、楽しいとか面白いとか、そういう感情をフラットにしてきた結果が今の自分だったりする。
言いたいことも、感じていることもたくさんあるはずなのに。それをフタをしてしまっている自分が悔しい。
解像度高く生きていきたい。もっと色んなモノを見たいし、もっと色々と感じたい。
だからといって分母を増やすのではなく。分子のほうを増やしていきたいのだ。
予定通りにいかない、涼しくなるのかと思ったら暑いままだった、作業量も増えなかった。ちょっとネガティブな9月14日だった。
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