質問力、大事。質問そのものの内容と、それを伝える順序、大事。
つらつらとあなたの思い出を語られても興味は無いし、どこに着地したいかも分からないと、回答は出てこない。
それでもって、その内容というのがあまりにも軽いものだったりすると、もっと簡潔に書いてくれと思う。テキストコミュニケーションだからこその弊害なのだろうけれど。
「社内メーリングリストを新規で作りたい」という質問があったが、「今の私の業務」とか「特に困っている○○」とか、それを延々としゃべられても困るということ。
その人の中には、情報共有で漏れが無いようにしたい→メーリスを作る。という答えが出てるのだから。「メーリスを作るにはどうしたらいい?」と聞くだけなのだ。
そうすれば、この申請書に必要事項を入力して、申請ボタンを押せばいいよ、と回答できる。
もちろん「メーリス以外の方法はあるだろうか?」と聞かれれば、目的や困っていることをヒヤリングする必要があるかもしれないが、その人の中では答えがでているのだ。
他にも、「東京から大阪に行くにはどうしたらいい?」とか。条件も何もなければ、新幹線(と在来線)でどうぞ、と言われるのがオチだろう。
何人で行くのか、スピードとコストはどちらを選ぶのか、何時にどこに着きたいのか、などなどの条件が絡み合って答えがでるのだ。
あまりにもざっくりし過ぎていて、どちらかというと手を引いてしまう。関わったら運気が下がりそうだから。
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そういう意味で言えば、質問力だけでなく、具体的に話をしてくれる人は貴重な存在なのかもしれない。質問に限らずだけど。
作業報告が上がってくるけれど、何が言いたいのか、どうしてこの結果になったのか、はっきりと報告してくれる人は少ない。適当にやり過ごしているとこの結果なんだろうな、という程度。
感想文を書いて、労をねぎらってもらったり、誰かに「すごいね」と言ってほしいのであれば、その場はここじゃない。もっとドライに、もっと現実だけを切り取って見せてくれればいい。
ちやほやして欲しそうな人、多すぎ。今はそれを求めていないのだ。
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と言っても、自分は認められたいとか思うから我が儘で自己中なヤツだな、と思う。
ちっとも振り向いてもらえなかったり、レスポンスが悪かったり、一方的だったりすると、不満が溜まるのは事実。
他人に期待しないように、なんて思うけれど、やっぱり他人に期待しちゃうし、そうであってほしいと強く願ってしまっているから、板挟みの状態なのだ。
他人を変えるのは難しいから自分が変わらなきゃ!なんて思うけれど。まだまだ気持ちが安定しないもの。気分は暖簾に腕押し、糠に釘。
決着をつけたいけれど、決着をつけないのもいいかな、なんて甘えているのもよくない。
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人の役割なんて、コロコロ変わるもので、仕事でもプライベートでも、ポジションを死守するのは止めた。しがみつくのはダサいと思うようになった。
気付けばコールセンターのSVだったはずが、庶務業務や管理業務をしたり、秘書をしたり、HTML・CSSを書いたり、SQLを書いたり。あちこち連れ回されている自分がいる。
「これ面白そうっすね」なんて大きな声で言えば、「やってみたら?」なんて言ってくれるから。
自分でハンドルを握って進む会社員はすこぶる面白い。
誰かに敷かれたレールの上を歩むのは嫌だ。という意見はよく分かる。
だからといって、フリーランスになるのは正解とは言えない。
自分で開拓する力、進んでいく力が無いままフリーランスになる人を見かける。
○○ってどうすればいいですか?と聞くのもいいけれど、自分でゴールを見つけて、そこに向かってのステップを組めないのであれば、フリーランスは向いていない。
言われたことを精度高くやるのであれば、会社員でいいじゃないか。
それでもって、レールの上が嫌だと言う先がフリーランスだというのも勿体ない。
会社員の中でレールの上を歩まない生き方をすればいい。そうすれば評価はぐんと上がっていく。
だって周りの会社員はレールの上をのんびり楽をしながら進んでいるのだから。
オーナーシップをもって、フリーランスのように自分で道を見つけて進んでいけば、それだけで大きなバリューになるのに。
みんな大海原へ飛び込みすぎだ。今の環境でも、充分に能力を発揮する場があるし、そこで能力を発揮できないのであれば、フリーになっても結果は同じ。
会社のせいにするのではなく、自分の責任だと思って、もっともがき苦しんだらいい。そのくらいの覚悟があってもいいんじゃないかな、なんて思う今日この頃だった。
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明日は休み。週末と合わせて3連休。いくつか約束をもらったので、アタックしてこよう。
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